2007年11月28日水曜日

いくつですか?

いくつですか?
指で応えようとしたのに、うまく3本の指を出せなかった少年。
知らない人とは口を利かないので、とお母さん。
しばらくお母さんとお話をした後、もう一度少年に質問。

「おなまえは?」・・・・・・「さんさい!」・・・・・・「やったぁ!!」

少年の心には、年を教えなければという使命のようなものが芽生えていたのでしょうか?
私はうれしすぎて、お母さんより先に、よく言えたよく言えたとほめちぎってしまいました。
お母さんも、知らない人に口を利いたと感動!です。
使命を達成した少年は満足感でいっぱい。
それを母に認められ、少年の心は大きく育ったことでしょう。

子どもの時間は、大人とは違う流れ方をするようです。
瞬時に過ぎ去ったり、やけに長くとどまったり。
だから、今ごろ何を言ってるの、何をしてるの、と言いたくなるような言動をとります。
でも、意味のない行動はないのです。
大人が気付くかどうかなのです。

日々はその繰り返しの中にあります。
できた自分を人から認められ、自分を認める。
そこにプライド、自尊心、自尊感情、言葉は何でもいいのですが、
自分を大切にする気持ちが生まれ、育ち、
それが他の人間や、事物に向けられていくのではありませんか。

認められれば、もっと認められたくて、また何かをする。
人はそうして成長していくのではありませんか。

日常のささやかなことを大切にして、子どもの能力を高めてください。
人任せの早期教育ではなく、生活に根ざした躾(しつけ)こそが
学習能力の向上に役立つものだということを、
学力低下、学校教育の問題が論じられる今だからこそ強調したいと思います。

最後の一文は蛇足です。


2007年10月28日日曜日

いい子を育てよう


いい子とは …

今、あなたの胸は期待でいっぱい。
助産師が認めるいい子の範疇に、わが子は含まれるのか。
わが子にどれくらい、いい子の要素があるのか。

その答えは、詰まるところ、
自分の子育てが正しく進行しているのかどうかを知りたい
ということだと思うのですが、違いますか?
「これでいいのか」いつもいつも、母は考えています。
何か不都合な状況が生じたとき、失敗したのかと、つい考えてしまうのです。

子育ての評価は、子どもが中学生になったときに下されると、
ある評論家が言い、私自身も感じました。
中学時代 ― 自分の将来を自分で選び、その実現のための行動を起こす時代。
そこへと続く道について述べるのは、次の機会にして、
とりあえず、今このとき、いい子とは????

よく寝る子
お行儀よく食べる子
毎日うんちを出す子
元気よくご挨拶できる子
親から離れて友達と遊べる子

逆に、こんなことができない子はいい子ではないのでしょうか。
  いつかできるようになりますよ。
  いつかって、いつですか。
  学習できたときですよ。
  学習させるのにはどうしたらいいですか?

お母さんやお父さんがして見せてください。

そして、できないときは少し手伝ってあげてください。
  靴下のはき口を少しだけ広げる。
  靴のかかとに手を添える。
  ちょっとだけ手伝おうか?と声をかける。

少しでもできたら、ほめてあげてください。
  ギャーギャー泣きわめいて、暴れまくって、手に噛み付いても、
  最後まで歯を磨けたら、しっかり目を見つめて「おしまい!よくできました。」
  ついでに、ぎゅ~っとだっこ。
  靴が左右逆でも、ボタンがずれていても、自分でできたら「やったね!」
  そのまま出かけて、よその人に「これ、この子が自分でしたんです。すごいでしょう!」と自慢。
  ほめるとは、そういうことですよ。

失敗したら、励ましてください。
  がんばったね、次はうまくできるよ。
  あら~惜しかったね。もうちょっとだったね。

いい子だと心から信じることは、親にしかできないのではないでしょうか。
信じてくれる人がいるとき、人は強くなれるのではないでしょうか。

写真は、1歳8ヶ月の子がパンツをはじめてはいた記念撮影です。
パンツがはけた、パンツがはけたと喜ぶ母は、あほみたいですか?

次回は、プライドについて考えます。


2007年9月26日水曜日

セミとり


よく言われるんですよ。
上手に育ててるねとか、いい子をもったねとか……自慢???
この二つの言葉、微妙ですね。
小学校低学年ぐらいまでは「上手に育ててるね」
それ以降は「いい子をもったね」だったように思います。
主体が代わってるんですね。育てたか、育ったか、の違いですね。
わかっていただけますか?
その言葉の変化そのものが私の子育てへの賛辞と解釈しています。
主体は子どもであることを、子育てする親は肝に銘じなければなりません。
育っていく子どものじゃまをしないこと、
これが子育ての極意と考えます。

生まれたての赤ちゃんでも、おちちをのませているときにじっと母の目を見ることがあります。
  A おめめ見えるんやね、おかあさんだよ。
  B 見えてんのかな?目っていつから見えるんやろ?
機嫌のよい顔でうーうーと声を出すこともあります。
  A うーうーお話できるんやね。
  B なんでこんなにうなってるんやろ?
言葉にはできないけれど、「ん、ん。」と一生懸命指差します。
  A ああ、あれは飛行機だよ。どこ行くんかなぁ。
  B なに言うてんの?なんもないやん。
こんなんおった、とダンゴムシやアマガエルをとってくることもあります。
  A わぁ、動いてるね~、丸まるね~、かわいいね~…心中ちょっとつらいけど…
  B 気持ち悪いから早よ捨てい。

あなたはどう反応しますか?
日々の暮らしの中に、こんなシーンがいっぱい。
そのくりかえし、その継続が子育てなのですね。

だから私はどうやって育てたの?と聞かれたとき、こう言うのです。
「子どもと一生懸命遊んだ。たぶんこの町で一番セミとりをした母だと思う。
セミとりには、オクラの入ってる袋でつっくた網が一番ですよ。」
相手はあきれ返って二度と聞いてきません。
でも、このせみとりの中にどれほどの要素が含まれているのか。

セミとりは朝に限ります。午後になると木の高みへ上がってしまうのです。 
   <早寝早起き・規則正しい生活>
子どもだけで神社や公園の木陰など危険と思われるところへ行かせず、必ず付き添う。
   <事故防止・危険回避>
セミとりの後は買い物へ行く。
   <約束の遵守>
採ったせみは必ず逃がす。7年も土の中にいて7日も生きていられないはかない命なのです。
   <いのちの大切さの学習>  ・・・学校みたいですね・・・
かごの中で交尾するセミを見る。
   <性教育の時間>
子どもと集中して遊ぶ時間を作る。
   <メリハリのある生活・計画的な一日の過ごし方を実行する母からの学び>
いい網を持っている子のまねをして網を作る。
セミはいかにすればうまく見つけ、とり、かごの中へ入れることができるかを考え、実行する。
   <自分で工夫できる子>
「親にとってもらう」から「自分でとる」へ。
   <自発的に行動する力の育成>

いろいろ書いていますが、全て後から考えたことです。
たったひとつのセミとりという行動にも、これだけの要素があるのですから、
日々の行動にいかに多彩な要素が含まれるか。
つい軽んじてしまうようなことが、実は非常に大切なことであったと、
後から後悔しないよう、日々の生活を大切にしてください。

次回、いい子とはなにかについて考えます。


2007年9月9日日曜日

子育てトピックス


最近の発見

1 サンダルがブームです。
  でもエスカレーターでの事故が増えていると、先日新聞で報じられました。
  私はぞうり派。
  あなたはどちらを選びますか?
  2006年5月のブログもご参照ください。

2 先日これも新聞で報じられたベビーカーの適応年齢について
  国産は2歳、ドイツ・オーストラリアなどは4歳。
  この差は何ですか?
  あなたはどちらを選びますか?
  
3 今日気付いたほやほやの大発見!
  よちよち、とっとっと~と歩く子ども。
  それはそれは生き生きと、世界を広げ、楽しんでいます。
  その子がベビーカーに座った途端、目の輝きが消えたのです。
  小さな世界に閉じ込められたせいでしょうか。
  私の気のせいでしょうか。
  ベビーカーに乗った子の表情を正面から見たことがありますか?
  買い物に歩いていくことがありますか?

べつに答えを求めているわけではなく、考えていただきたいのです。
人生は小さな選択の積み重ねです。
どっちにしようと迷ったとき、自分で考えるあるいは
誰かの意見を聞いて自分で決断する。
そういう親の姿を見る子、見ることができない子。
どうなのでしょうね。

小さな選択や小さな努力を5年、10年と積み重ねることの大切さを
しみじみと感じている子育て暦24年の母です。

お母さん方が助産師のつぶやきを聞いてくださっていることに
プレッシャーを感じないでもありませんが、ぼちぼち書いていきます。
今月はこんなに遅れてほんとにごめんなさい。
おわびに最近見た日本の美しい姿をお目にかけました。


2007年8月1日水曜日

なに、なに?


「子どもの目線に立って」
よく言われる言葉ですが、意外と実行できていません。
これは気持ちの問題ではありません。
物理的な、実際の、高さや距離の問題です。

助産婦なりたてのほやほや、新米、ペーペーの私が、
初めて婦長にほめられたのは、その一点でした。
いつも患者さんと目の高さを合わせている…と。
頭上高いところから人に物を言うのが苦手で、
ベッドサイドにしゃがみこんで話をしていたのです。
どちらかといえば、自分のほうが下。

子どもの目の高さに自分の目を置いてみましょう。
世界が違ったものになります。
ねんねの子の横に寝てみる。
うつぶせで首を上げはじめた子の横でうつぶせになってみる。
おすわりの子の横に座ってみる。
道ばたにしゃがみこんだ子の横にしゃがんでみる。
上を指差す子を抱きあげ目の高さを合わせて何を指差したか探してみる。

同じものを見なければコミュニケーションは成り立ちません。
同じものを見ているようでも、それぞれ別の部分を見ているのです。
だから同じものを見なければ、違ってたね~ということもできないのです。
どちらかの独断になってしまいます。
当然、大きい方、言葉を使う方、ごまかす力を持った方の勝利に終わります。
知らず知らずのうちに力で押さえつけることになっているかも。

信号待ちの母親と3歳ぐらいの男の子。
母親が、独り言なのか、子どもに言っているのか「長い信号やなぁ~。」
しばらくして、子どもが「ほら~」と何かを指差します。
それに気付いた母親は、「長い信号やなぁ~。」と一言。
信号を指差していると思ったんですね。
子どもの目線を追えば、そこに止まったバスを指差していることは
すぐにわかるのに……。
男の子は何も言わず、バスだけを見つめていました。
ひとつシャボン玉がはじけた感覚を抱くのは私だけでしょうか?

「ほんまや、○○やなぁ。」とか「○○が見えるなぁ。」とか
「すごいなぁ。」「あついなぁ。」「おいしそうやなぁ。」「うれしいなぁ。」とか
同じものを見て、何かを感じて、時には違っていることを確認して、
子どもとの時間を過ごしてみませんか?


2007年7月1日日曜日

あなたはだあれ?


お○だ○し○ちゃん! (だれやねん)
は~い!!
こんな芸当が1歳ごろになるとできるようになってきます。

猿やないんやから、芸なんか仕込まなくていいのだ。
私はそうは考えず、ひたすらその愛らしさを見たいがために、
小さいときから、
「あなたはだ~れ?」「お○だ○し○ちゃん」「は~い!」
という独り言をくりかえしてきたのです。
そしてこの姿。
20年以上経った今見ても、可愛くて、うれしくて、
何だか幸せな気分ですよ。

自分という存在なくして他はなく、
自他を区別することなくしてコミュニケーションはありえないでしょう。
あなたはお○だ○し○ちゃん。
私はおかあさん。
お話しようね。一緒にあそぼうね。
そのつながりが大きくなって
ひとりではばたくための自信になるのです。
子どもがはばたく年齢になって、またしみじみとその大切さを思うのです。

しょうもないことかもしれませんが、一家総出でやってみませんか?
「おとうさん」「は~い!」「おかあさん」「は~い!」「○○ちゃん」「は~い!」

次回もコミュニケーションの続きです。


2007年5月30日水曜日

母として、助産師として

助産を担う職業は1200年の歴史(大宝律令から!)を持っています。
名称はさまざまですが・・・。
その職業団体である日本助産師会は創立から80年を迎えました。

母は人類発生の時から存在します。
母が先か、人類が先か????????

私の祖母は10人の、母は3人の子を家で普通に産みました。
私が大切に思う助産師像は、「産婆」としてイメージするのが適切かと思います。
お母さんが住む村の中で、フットワークよく自転車で
凛々しく、温かく、たくましく走る姿です。
私が自転車で走る姿は「疾走」と表現されるらしく、まだまだ修行が足りません。
私の愛する産婆・・・だからこのブログは助産師と産婆を合わせて【jyosannba】なのです。
お気づきでしたか?

笑いながら子育てできるようお手伝いしていきたいと思っています。
先週の土曜日、図らずも妊婦さんから、
私が傍にいたら、お産の時笑いそうやと言われました。
それってベストな状態なのでは?
その妊婦さんは力が入らないから嫌だとおっしゃっていましたが・・・。

自分がしていないこと、できなかったことを人に押し付ける気はさらさらなく、
母としての自分自身の経験と、
のべにして年に1500人近いお母さんと触れ合っている助産師としての経験から
感じることを書いていきたい・・・・・・
今年こそ、せめて月1回は書き続けたい!

日本助産師会創立80周年の記念式典と総会・学会が5月半ばに東京で開催されました。
そのついで(?)に、一泊の宿を福島県のとある温泉に求め、
東京の友人に会うついでに温泉についてきた我が娘とともに
会津磐梯山周辺を回っていたときのこと。
5、6人の外国人がセルフタイマーで記念撮影をしようとしていたので、
シャッター押しましょうと声をかけました。

  私は英語は話せません。ほんの少しの英単語を知っているだけです。
  でも、表情と声の調子と身振り手振りで気持ちを伝える自信があります。
  なぜなら、言葉を話さない人々と日常的につきあってトレーニングしているからです。
  その人の名は、赤ちゃん。
  だから、今2歳未満の子どもを持っているお母さん、喜んでください。
  今の経験は、英会話を学ぶより貴重なコミュニケーション能力のレッスンになるんです。

無事写真を撮ってカメラを返し、立ち去る私の後ろを追いかけてきた娘。
「He is coolって言うてるで。クックックッ(当然笑っている)」
何で冷たいねん。どこが男やねん。失礼な。ぷりぷり#。
・・・・・・・・・ むなしい。
小旅行を終え、少しは英語のできる息子にこの話をしたら、
「おかん、かっこええって言われてんぞ。クックックッ(当然笑っている)」
英語はちゃんと学習しましょう。
He is coolとは口語で、チョーかっこいいという意味だそうです。
・・・・・・・・・ これは喜ぶべきことですか?

次回はこのコミュニケーション能力について書きます。
(毎回自分に課題を与えることにしました)


2007年4月7日土曜日

春になってしまいました。。

年度末処理が終わったら必ずや更新します(ーー;)

意外と、このブログを見てくれている人がいることに驚きました。
ありがとうございます…

本当にごめんなさいm(__)m